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第二次世界大戦の敗戦で、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が日本で活動するようになると、東京を中心に大量の車が持ち込まれた。GHQ関係者が使用するためである。当初はジープも多かったが日本人はすぐに大量の洗練されたアメリカ車を目の当たりに見るようになった。日本人高官や企業関係者もそういった車にのって走り回るようになった。アメリカ車が多かったが、スポーツカーに乗るGHQ関係者は欧州製を持ち込むものもいた。アメリカで乗られている自動車とはどんなものなのかを日本人はこのとき知った。
1950年代から1960年代はアメリカ自動車産業の最盛期であり、アメリカ車は憧れの対象であった。しかし、1950年代当初の「乗用車生産を日本がすべきか否か」という国レベルでの大議論を経て、最終的にすべきと判断した国と自動車メーカーが技術取得のためにライセンス生産した車は欧州車であった。1950年代は欧州車が日本のメーカーにより組立(ノックダウン生産)および販売されていた時代であった。日本車(国産車)はマイナーな存在であり日本では乗用車イコール輸入車、という時代が続いていた。1950年代末ごろまでは乗用車販売のほとんど、つまり輸入車の多くがハイヤー・タクシー用途への販売だった。
従来ヤナセなど日本国内資本が輸入者と販売者を兼ねていたが、メルセデス・ベンツ(1986年)、フォルクスワーゲン・グループ(1991年)など、メーカーが設立した日本法人が直接に輸入・販売をコントロールすることが主流となり、トヨタ系列ではフォルクスワーゲン(VW)と提携しての同車販売店展開(DUO店)も開始された。こうして希少性の低下したドイツ車に対するアンチテーゼとして、ジャガー、ボルボ(現ボルボ・カーズ)、サーブ、プジョー、ルノー、アルファ・ロメオ、フィアット、ランチアといった欧州車への注目もあった。マツダによるシトロエンやランチアなど、日本車ディーラーが輸入車を取り扱う傾向もみられた。
バブル景気崩壊に伴い、早くも1991年には輸入車販売は減少に転じた。主にアメリカとの貿易摩擦回避など政治的な意味合いで、ホンダによるジープ・チェロキーの販売(1993年−)、トヨタによるシボレー・キャバリエの販売(1996年−)などがあったが、販売成績上は低調なものに終わった。1996年、輸入車販売台数は史上最高を記録したが、これはホンダ・アコードなど国外生産された日本車の販売増加に拠るところが大きかった。

『ウィキペディア(Wikipedia)』参照


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